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広島高等裁判所 昭和38年(う)257号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕原判決挙示の各証拠によれば、被告人は昭和三四年八月一日頃から昭和三七年七月三一日頃まで山口県吉敷郡小郡町山口県生活協同組合連合会(以下生協連と略称。)に営業部担当常務理事として勤務し生協連を構成する各職域等の生活協同組合(以下単位組合と略称。)の組合員のために生活に必要な物資の仕入・販売等の業務に従事していたが、単位組合である山口県学校生活協同組合(以下学校生協と略称。)の代表理事で生協連の理事をも兼務していた部坂高男から同人とは中学時代の同窓で特に親交があり父が岩国市で執行吏をしていた関係などから同市内で極めて信用度が高く、学校生協から物資を入れているが代金の支払もよく信頼できる人物として予て紹介されていた岩国市日新商事株式会社(以下日新商事と略称。)代表取締役清水忠の要請に応じ、昭和三六年五月下旬から同年九月下旬までの間八回位に亘り小倉市昭和電機興業株式会社・宇部市日本特販株式会社山口営業所・山口市山口富士電機商会に扇風機等合計四二八点の電機製品を発注してこれらを同各商社から単位組合でない日新商事に送付させ、よつてその代金合計八、二九四、一七〇円の債務を生協連に負担させたこと、右販売による生協連の日新商事に対する債権額中六、二三四、六八〇円の取立が同商事の倒産のため不能に帰したこと、生協連は消費生活協同組合法に基く組合で同法第一二条三項及び生協連定款第四八条により生協連が単位組合以外の者に物資を販売するについては当該行政庁の許可を要するにかかわらず、日新商事に対する前記販売について右の許可がなく、またその販売に先立ち同商事の信用調査もなされず、代金回収確保の手段も別に講ぜられなかつたことが認められる。しかし、原判決挙示の各証拠を総合しても、その余の記録並びに当審事実調の結果に照らしても、被告人がその任務に違背するものであることを認識しながら自己若くは第三者たる日新商事あるいは清水忠の利益を図り又は生協連に損害を加える目的をもつて前記の取引に及んだことを認むべき心証を得ない。すなわち、背任罪の本質上日新商事に対する前記販売につき当該行政庁の許可を得なかつたことをもつて直ちに刑法第二四七条所定の任務違背とはいいえないのみならず、被告人の弁解によれば、被告人は当時生協連が単位組合に対する売掛金の回収が不能あるいは極めて困難であつたことなどから多額の負債を生じ経営難に陥つていたおりから、前記のような部坂高男の紹介により清水忠と日新商事とを信用し、その要請を奇貨に同商事に電機製品を販売して三パーセントないし五パーセントのマージンを得、これにより幾分でも危機に瀕した生協連の運営を挽回しようと考えた結果前記取引をするに至つた、というにあるところ<証拠>を総合して考察すると、前記取引は、生協連が単位組合に対する売掛金の回収が不能あるいは極めて困難であつたことなどから三千万円以上の負債と一千万円以上の欠損とを抱えて経営難に陥つていたおりから、予め被告人からその監督責任者たる地位にあつた生協連理事長藤村節正と生協連総務担当常務理事岡差瑳斯とに相談するはもとより(両名はいささか代金の回収を懸念していたことはあつても、被告人の意図に決して反対ではなかつた。)、清水忠が学校生協の岩国連絡所を兼営していた関係から学校生協代表理事の部坂高男の意見(それはかなり曖昧なものではあつたが。)をも徴したうえ行われたものであること、当時同人は右代表理事のほか生協連の理事として営業部委員長をも勤め内外の信望が極めて厚く、その紹介によつただけで被告人が清水忠及び日新商事を信用し、その信用調査もせず且つ特段代金回収確保の措置をも講じなかつたとしても強ち不可解とはいえない節のあること、したがつて被告人にはこれがため自己の任務に違背する意思があつたものとは必ずしも憶測しえないこと、昭和三六年一一月下旬開催の生協連理事会において慎重討議の末、被告人は危機に瀕した生協連の経営の挽回を企図して日新商事に対し前記の販売をしたものであるとの結論に到達して全員異議なくこれを承認したことなどが認められ、これらの事実は被告人の以上の弁解を全面的に肯定すべき資料とはなし得ないにしても、これを否定するためにはその障碍となるものと解される。もつとも、司法警察員に対する小森正の昭和三七年四月二七日付供述調書中にはその供述として「鈴川は結局飲み食い等でつられたのではないかと思います。私が知つている範囲でも相当派手にやつておられたようであります。」旨の記載があるが、その供述内容には何ら具体性がないのみか、右小森の当審第七回公判証人としての供述によつても「私で取立のため岩国の日新商事に行つた際同商事から夕食でも一緒にということで招待を受け、その際たまたま取引関係で岩国にきていた鈴川と一緒になつたことが一、二回あつたのではないかと思う。そのうち一回はてんぷ屋らか何かで、他の一回はキヤバレーであつたと思う。キヤバレーのときも鈴川が多分いたと思うがはつきりしない。その時期は暑いときを過ぎて涼しくなつた時分であつたと思う。それ以外には鈴川が日新商事から供応を受けたことは知らない。」というにあつて、依然その内容は極めて曖昧なものといわなければならない。仮に被告人において右のような供応を受けた事実があつたとしても、その程度のことで生協連の経営が危機に瀕していたおりから生協連の営業部担当常務理事の立場にあつた被告人が代金の回収をも顧慮することなく専ら自己若くは日新商事あるいは清水忠の利益を図ることを主目的として前述のような巨額な取引を敢てしたものとは到底考えられないし、また記録を通じてみれば小森正のいう供応の時期は右取引も殆ど終つて手形不渡のため被告人が代金回収に苦慮していた時分のことであつたと認められ、このことからしても前記供応の事実をもつて被告人に右のような目的があつたと認むべき資料とはなし得ない。さらに、司法警察員に対する道山義久の昭和三七年四月五日付供述調書中にはその供述として「日新商事が生協連と取引するようになつた頃には既に学校生協の方に時に日新商事の手形の不渡が出ており、学校生協と密接な関係のある生協連の鈴川としてはそのことを知つていたと思う。また鈴川はよく岩国の方にもきていたので、日新商事がダンピングをしていたことを知つていたと思う。それで日新商事が生協連から商品を入れてもらうようになつて間もない六月頃に鈴川が日新商事の事務所にきて私に『お前らちよいちよいダンピングをするということだが、ダンピングするなよ。』と言つたことがあり、鈴川は日新商事がその頃経営状態がよくなかつたことを知つていたと思う。」旨の記載があるが、右道山の当審第七回公判証人としての供述によれば、右調書中「鈴川が知つていたと思う」との点はすべて同証人の単なる想像で他にそのことを認むべき証左はなく、また被告人が「ダンピングするなよ」等と言つた時期については「取引をはじめて大分たつてからだと思う。」というにあつて、それが明らかでないのみならず、右被告人の言葉の程度では、果してどの程度のことを認識していたのか不明であり、ましてやかかる言質をとらえて、被告人が前記取引に際し既に倒産寸前にあつて代金の取立が不能に帰するほど日新商事の経営が不振の状態にあつたことを認識していたとまで認定すべき資料とするわけにはゆかない。なお、その他の証拠を精査検討するも、前掲被告人の弁解を排し、被告人がその任務に対する違背の認識と自己若くは第三者の利益を図り又は生協連に損害を加える目的をもつて前記取引に及んだことを認むべき心証を得ない(仮に、日新商事に対する前記販売につき当該行政庁の許可を得なかつたことが直ちに刑法第二四七条にいう任務違背にあたるとしても、同条に定める目的があつたことにつき証明がない。)。したがつて、本件起訴にかか背任罪の成立を認むべき証明が十分でないのに、原判決がその証明が十分であるとして有罪の認定をしたのは、証拠の価値判断を誤つた結果事実を誤認したものというのほかなく、しかもその誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点で破棄を免れない。(渡辺雄 高橋文恵 高橋正男)

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